生産性などない

近頃は考え事が多く纏まらないのでこうしてブログという形で書き綴っていこうかなと思った。別段チラシの裏とかメモ帳でもいいわけなんだがなにせこのユビキタス社会。手元の携帯からワールドワイドウェーブにさえ繋がれればいつでもどこでもすぐに確認できるので多くの紙束を持ち歩く必要も無く便利なんじゃねと。いう建前。ワールドワイドウェーブですからそら他人に見られますよって。まあそんな事は些事たる問題とでもいいますか、勝手に見て勝手に共感して勝手に反感を買うような感じもいいんじゃないのってかんじですね。この辺は僕の自己顕示欲でしょう。というか人は誰しも顕示欲はおおけれ多かれ少なかれあると思う。誤字修正なしってのはシビアである。そういった自己顕示欲を生かすのにネットという媒体は大変便利だ。僕も職業というか、そういった目標の宣伝の為に他にもブログをやったりSNSを利用しているしの。いかんせん今はまだ無名のぺーぺーだ。埋もれるどころか誕生自体してんの?という具合である。そしてこのネットの海にはそういった有象無象が溢れかえっている訳である。ここ十年程で大衆化が進み年代もだいぶ下がってきたように感じられる。や、僕自身もそういった、いわゆる若年代からネットにアクセスし所謂コミュニケーションツールとして使っていたのでなにやら懐かしいやら気恥ずかしいやらそんな思いもある。十年以上ネットの年代移行を見てきた僕ですらそうなのだからこれが二十年三十年ともなる諸兄方については万感の思いであろう。まあアクセスしたての頃は当然不慣れな物で架空請求に怯えたりブラクラを踏んで涙で枕を濡らした夜もあった。そういった経験からネット上での身の振り方というものを周囲の同年代よりはわきまえてきたつもりだ。犯罪行為の自慢などもってのほかである。これらが近頃snsなどを中心に台頭してきているのはどういうことなのか。若い暴れたがりの彼らはおそらくネットというものの深さと恐ろしさをしらないのだと思う。snsもワールドワイドウェーブだ。世界中に通じている。身内だけの狭いサークルではないのだ。そこに犯罪行為の誇示などすれば瞬く間に知れ渡るのは当然である。さすがに分別付く年齢で逮捕者が既に出ているような事を進んでするのはどうかと思ってしまう訳です。とまあ今更な事をてきとーに書いてみたが顕示にはそれなりのリスクが伴うものだねっていう再確認も兼ねてですね。顔出しなんかも身ばれのリスク承知の上での自己顕示ですからそれなりの覚悟はしとこうねってこと。や、別にネットで見つけた可愛い女の子をストーカーしちゃう人の擁護とかではなく、送り手側への警告という感じ。受け手も千差万別。めちゃくちゃ好きになってくれる人も入れば真逆だってありますよ。割合にしたらどんなもんかな。5:5だとして、そこからどうがんばっても大嫌い側の人間は0にはならないよ。学校のクラスで考えてみたら分かるけど、標準的な学校が一クラス30人だとしたら絶対に嫌いなやつ一人はおるやん。そいつの声を押しつぶせるくらい自分の周りに好きになってくれたやつがいたらいいよねって感じかな?よく分からん。まあ押しつぶされた側は意見を封殺されるわけだからなまらつまらんでしょう。そうした悪意をばらまくのもまた今の時代ワールドワードウェーブですよ。するとそこら中に漂ってる小さい悪意は大きな悪意に進化していく訳ですね。この無限増殖する悪意にどれだけ耐えきれるか。日本国内だけでも1億7千万?だとして、例えば好意と悪意が7:3くらい?まあだいたいこんなもんやろ、とすると5100万に悪意を向けられるわけです。これは厳しー。まあ半分は興味ないって人だとしてもどんなに少なく見積もっても1000万人からは悪意を向けられてる訳です。悪意も大小がある。小さいやつはなんか気に食わんなー程度だろうし大きいやつはまじで殺しにくるだろう。人間の感情は数字では計れんっていうけど、所謂人気者の成功者ってのはこのでかい悪意と日々戦っているんだなあって考えると敬意の念を抱かずにはいられない。まあ人間心を鍛え教養を身につけなさいってことで、米が炊けたので今日はこの辺で。