リビドー

いきなりだが最近性欲が無い。いや、全く無いという訳ではない。もともと人並みにはあったと思うんだが最近あまり波がこないな、という感じである。性欲が衰える程歳を食っている訳ではないのだが、いやはや。というか行為そのものよりもそこに至るまでの過程が楽しいのであって行為そのものはおまけというか、ぶっちゃけくっついて寝るだけでいいよねっていう感じである。何だろうか。冬の到来とともに人肌恋しくなっているのだろうか。そんな感じか。恋愛とか面倒くさくなりつつあるしな。草食化か。そもそも幼少期から恋愛ごとが苦手で避けつつあった傾向もある。性欲がどうしようも無い場合も一人かてきとうな相手で済ましてきた辺り三大欲求の一つを義務的に解消していいもんかなと思ったりもしたが、いやはや。そもそも地球上の人類が60億いて半割して30億も異性がいるんだから一人くらいはお互いの好みが完全に一致する、所謂運命の人がいるやろしそいつに出会えればええんちゃうっていう考えに至ったのが小学生のときだった。だが若かりし僕は出会いの為には行動という苦痛がともなう事を知らなかった。そう、苦痛なのだ。恋愛という事象のための行動が億劫でしかたがないのだ。故に今も一人でかちゃぽことキーボードの前に座っている。酒池肉林などに興味は無い。二次元に性欲も抱かない。しかしあれだ。この時間テレビをつけるとしょーもない通販ばっかりだな。そんな安売りしなきゃならんほど在庫抱えてるんかいという商品の山積ぶりに些か辟易とする。大体こういうのは健康食品か美容品なんだが。ネット通販もなかなかにひどい。在庫残りわずかの表記があって在庫数が書いてあるところなんか半年後に見ても在庫数変わってないし。こういう一見して騙されてしまいそうな商品には決して手を出してはならないのである。恋人選びにも同じ事が言えるな。優しいだけの人はよろしくないのである。上手い具合に話が繋がったなガハハ。くそくらえだ。何事にもそうだが見切りをつけるのは非常に大切だが難しいもんだ。情に流されたりして執着していては一緒に沈んでしまう事になる。自身の成功の為には時として非情にならなければいけないんだよ。そういった経験が人としての成長、ひいては大人になるっていうことなんじゃないか。知らんけど。てきとーにそれっぽい事書いてるけど酔っぱらいの戯言なんでそんな真剣に受け止められても困る。飲み屋のカウンターに座って一人で飲んでるおっさんの説教とかわらんよ。いい感じに酔ってきたのでこのまま気分よく眠りたいがこういう日はいかんせん淫夢を見やすいのが難点である。個人的には悪夢でしかない。主に自己嫌悪によってだが。そういえば最近はやってるらしいけど淫夢厨は大嫌いである。生理的に受け付けない。気持ち悪い。そもそも同性愛を馬鹿にしている感が腹立たしい。まあ流行に流され真似事が好きな最近の子供らしさなのかなあと自分の中で紛らわすほか無い。寝る。

独立

夜に店で飲んでいたときの話である。一緒に飲んでいた若い子に遅くなってきたけど時間大丈夫?と聞いたら大丈夫だと。あれこの子実家暮らしだよなと思って親御さんに一報入れときなよと言ったら「一人暮らしみたいなもんなんで大丈夫っすよ」と。ん?学生で実家暮らしだけど一人暮らしみたいなもん?わけ分からんぞ。詳しく聞いてみたら家族と殆ど顔を合わせないし食事も自分で全部用意しているし金も入れてるから、らしい。うーんどうなんだろう。当人の気分的な問題なんだろうか。いいっちゃいいんだが、うーん。よく実家暮らしで金がないと言っている学生はいるが実家に住んでいるだけでかなり恵まれていると思うぞ。もし読まれた方で同じような状態の方がいたら一人暮らしみたいなもんとは言わない方がいいと思う。まず使える時間の量がかなり違う。当たり前だが一人暮らしは炊事洗濯買い物など全てが自分の裁量によって行われる。それによって金の管理の仕方もシビアになる。実家暮らしだとそういう意識は芽生えにくいと思う。というか学生のうちは大体親の保護下なんだから一人暮らししていたって全然違うわな。金無いっつってもせいぜい飲み会の金くらいだろ。実家ぐらしのやつなら本当に金がなかったら親が飯用意してくれるし服だって洗濯してくれてるし日用品だって減ったら買い足しておいてくれる。後一番でかいのは風邪ひいたときとかだな。一人暮らしの体調不良はマジでやばい。このまま死ぬんじゃないかという恐怖を毎回覚える。家計的に完全に独立して初めて一人暮らししてますって言えるんじゃないか?扶養下で割引されていた税金の額やばいからな。あれは洗礼だ。生まれが豊かな奴なら別だろうけど僕を含め多くの人はそうではないと思う。というか学生とかフリーターの不幸自慢の風潮まじで何とかならんのか。二時間しか寝てないとか今日一食しか食ってないとか知るか。不幸なのがステータスなのか?意味分からん。全部手前の責任だろうが。自分の行動に責任持て。自分が無責任だと喧伝して恥ずかしくないのか?聞いてて馬鹿としか思えないわ。どーでもいいことだな。意識高い系とかいうけど全然良いと思うぞ。ネットのくず底で溜まって悪意をはき散らしてる連中に比べたら全然いい。ただ成功できるのは一割以下だろうと思うけど。他人を蹴落とすとはいうけど蹴落とした人間の惨めなその後を想像した上で蹴落としていける奴が成功するんじゃないか?想像しない奴はいつか足下をすくわれる気がする。知らん。寝る前の吐き出しなんだから深い意味なんかあるわけないやろ。捉え方はそれぞれで。寝る。

寝る直前

そういうときに書く事にしてるから記事の内容は支離滅裂だしエンターテイメント性などかけらも無いがそこはご愛嬌という事で。いかんせん体調が芳しくない。早めのアレルギー性鼻炎なのか。でも学生のときの診断は慢性鼻炎だった。よくわからん。そうなのである。我々人類にとってもっとも身近な人体でさえ不思議でわけ分からんことがたくさんあるのである。心なんぞその最たるものだ。なぜ人は恋をして憎み合うのか。詩的なフレーズだなとちょっと思ってしまったがどうでもいいな。何が人と人を結びつけあうのか。そもそも可愛いとは何だ。奇麗とはなんだ。かっこいいとは何だ。万人が共有できるものなどこの世に何一つとして存在しないではないか。くそどうでもいい大衆意識とやらに踊らされているだけなのではないか。思い込んでしまっているだけなのではないか。恐ろしきかな情報操作。しかし腹が減った。空腹は感じるが食欲がないというのは厄介なものだ。とりあえず煙草を吸いながら先日買ったファンタのアセロラ味を飲んでごまかしている。いいなこれ。なかなか美味い。というか色が女の子っぽい。これで僕も女子力アップだガハハ。糞食らえである。まず何をもってして女の子っぽいと言えるのか。そんなもんは所詮僕の主観でしかない。10人が皆口を揃えて女の子っぽいと言うのならまだしも一人くらいは違う事思うやろ。分母が増えれば意見も細分化されるわ。ああ、そういう大勢の意見が所謂「普通」っていう情報として社会ひいては文明に広がっているんですね。何なんだ僕は。社会の敵か。社会の一員のくせに。そもそも女子力ってなんやねん。女の子らしさって認識でいいのか?じゃあそういえよ。めんどくせえ言葉作ってんじゃないよ。アセロラうめえ。煙草うめえ。まじで眠気のせいかしらんけどぼーっとしてきた。昼に食ったサンドウィッチは美味かった。コンビニのパンはセブンが一番美味いな。くそどうでもいいな。どっかに非日常の入り口落ちてないかなと模索もするがそんなもんどこにも無い。いやまて。そもそも日常とはなんだ。我々も世界も永久機関など搭載してない。日々少しずつ変化している。気がつかないだけで非日常などどこにでもある。あるんだ。忘れて行動しないだけなんだ。だってお前さん、昨日までパン屋を10年続けてきた人が今日からいきなり寿司屋で働いてみろよ。超非日常的じゃん。だれもそんな事はしない。生活があり家庭があり、そもそも社会はそれを許しはしない。人々の閉じたサークルをぶち壊す事はとても難しく、成功しようが失敗しようがアクションを起こしただけで反感を買いやすいのである。荒波をたてずに少しずつ攻めるのが良いでしょう。じわじわと染みだすのです。急いては事を為損じるのです。社会における大衆の正義を敵に回してはいけません。彼らの正義感という名の悪意の深さと恐ろしさは底が知れないのですから。なんやねんこの文体。煙草もう一本すったら寝よ。えーと食えるときに飯は食え。悪意に打ち勝つ強い心を持て。自分以外信じるな。心を許すな。底を見せるな。覚悟を決めて矜持を捨てろ。武器を増やせ。時を誤るな。アセロラ。寝よう。

生産性などない

近頃は考え事が多く纏まらないのでこうしてブログという形で書き綴っていこうかなと思った。別段チラシの裏とかメモ帳でもいいわけなんだがなにせこのユビキタス社会。手元の携帯からワールドワイドウェーブにさえ繋がれればいつでもどこでもすぐに確認できるので多くの紙束を持ち歩く必要も無く便利なんじゃねと。いう建前。ワールドワイドウェーブですからそら他人に見られますよって。まあそんな事は些事たる問題とでもいいますか、勝手に見て勝手に共感して勝手に反感を買うような感じもいいんじゃないのってかんじですね。この辺は僕の自己顕示欲でしょう。というか人は誰しも顕示欲はおおけれ多かれ少なかれあると思う。誤字修正なしってのはシビアである。そういった自己顕示欲を生かすのにネットという媒体は大変便利だ。僕も職業というか、そういった目標の宣伝の為に他にもブログをやったりSNSを利用しているしの。いかんせん今はまだ無名のぺーぺーだ。埋もれるどころか誕生自体してんの?という具合である。そしてこのネットの海にはそういった有象無象が溢れかえっている訳である。ここ十年程で大衆化が進み年代もだいぶ下がってきたように感じられる。や、僕自身もそういった、いわゆる若年代からネットにアクセスし所謂コミュニケーションツールとして使っていたのでなにやら懐かしいやら気恥ずかしいやらそんな思いもある。十年以上ネットの年代移行を見てきた僕ですらそうなのだからこれが二十年三十年ともなる諸兄方については万感の思いであろう。まあアクセスしたての頃は当然不慣れな物で架空請求に怯えたりブラクラを踏んで涙で枕を濡らした夜もあった。そういった経験からネット上での身の振り方というものを周囲の同年代よりはわきまえてきたつもりだ。犯罪行為の自慢などもってのほかである。これらが近頃snsなどを中心に台頭してきているのはどういうことなのか。若い暴れたがりの彼らはおそらくネットというものの深さと恐ろしさをしらないのだと思う。snsもワールドワイドウェーブだ。世界中に通じている。身内だけの狭いサークルではないのだ。そこに犯罪行為の誇示などすれば瞬く間に知れ渡るのは当然である。さすがに分別付く年齢で逮捕者が既に出ているような事を進んでするのはどうかと思ってしまう訳です。とまあ今更な事をてきとーに書いてみたが顕示にはそれなりのリスクが伴うものだねっていう再確認も兼ねてですね。顔出しなんかも身ばれのリスク承知の上での自己顕示ですからそれなりの覚悟はしとこうねってこと。や、別にネットで見つけた可愛い女の子をストーカーしちゃう人の擁護とかではなく、送り手側への警告という感じ。受け手も千差万別。めちゃくちゃ好きになってくれる人も入れば真逆だってありますよ。割合にしたらどんなもんかな。5:5だとして、そこからどうがんばっても大嫌い側の人間は0にはならないよ。学校のクラスで考えてみたら分かるけど、標準的な学校が一クラス30人だとしたら絶対に嫌いなやつ一人はおるやん。そいつの声を押しつぶせるくらい自分の周りに好きになってくれたやつがいたらいいよねって感じかな?よく分からん。まあ押しつぶされた側は意見を封殺されるわけだからなまらつまらんでしょう。そうした悪意をばらまくのもまた今の時代ワールドワードウェーブですよ。するとそこら中に漂ってる小さい悪意は大きな悪意に進化していく訳ですね。この無限増殖する悪意にどれだけ耐えきれるか。日本国内だけでも1億7千万?だとして、例えば好意と悪意が7:3くらい?まあだいたいこんなもんやろ、とすると5100万に悪意を向けられるわけです。これは厳しー。まあ半分は興味ないって人だとしてもどんなに少なく見積もっても1000万人からは悪意を向けられてる訳です。悪意も大小がある。小さいやつはなんか気に食わんなー程度だろうし大きいやつはまじで殺しにくるだろう。人間の感情は数字では計れんっていうけど、所謂人気者の成功者ってのはこのでかい悪意と日々戦っているんだなあって考えると敬意の念を抱かずにはいられない。まあ人間心を鍛え教養を身につけなさいってことで、米が炊けたので今日はこの辺で。